3月31日の稽古から考えてたこと。

 毎回更新が遅い、ブログ係の畦上玄太です。

 3月の稽古がおわり4月に入りました。本番まで残す所あと2ヶ月半。さてさて・・・。

 多くのシーンの1つである「浸食」は、草や石や実など自然物のポーズをしている間を三匹のヤギが動き回るという所から始まります。そのポーズの稽古の最中に「植物は陽の光を浴びる為に、枝を伸ばし、葉を広げる」と言われ、改めて表現するという事について考えさせられる切掛けとなりました。

 手を挙げる、足を踏み出すなど、動きの外側をなぞる事は容易です。しかし、表現にまで高めるには、そこに磨き上げた内側の感情を掛け算する必要があると思います。一歩踏み出す時、手を握るとき、1つ1つの動作をせざるおえない衝動、その形になる事への意味、目で確りと見える事のない内面の世界。これは外側の形を内側から支える柱であり、表現する事の1つの基本になる事だと思います。特に、動かずに何かを表現をする時その必要性は増すのでは無いでしょうか、止まっている状態を人に見せなくはならないのですから。

 静の状態。ただじっとしている事。それは焦れったく、根気のいる事だと思います。しかし、例えばもの言わぬ木の幹の捻れやうねりに、何かを気付かされる事や。岩の佇まいに様々な感情を掻き立てられる事。路肩で揺れる草花に目を引かれる事など。静物に対して心を引かれ、あれやこれや思いを巡らせるのは、やはり内側から漏れ出る何かがそれにはあるからだと思います。

 ポージングの状態でも、観に来た人の心を打てる様な表現。一表現者としてそれが出来る様になりたいと思います。

以上。